こんにちは。天色(あまいろ)です。
しつこいようですが、私は毒親育ちで、気付けばアラフォーになっていて、ある朝起きて思う事が「○にたい」になっていて、やっと自分の状態に気付けたような人間です。
せっかく毒家庭育ちで苦しんで来た経験があるのだから、毒親について少しお話しても良いかなと思ったので、今このブログを書いています。
私は本当に最近まで、自己肯定感なんてほぼ無いような人間でした。
簡潔に言うと、とにかくいつも自分はどうせダメ人間、どうせ幸せになんてなれない、なぜなら自分はダメな人間だから…。みたいに自分を「設定」していたようなものです。
毒家庭の毒教育で、自分の中には気付いたらものすごい量の毒が蓄積していたんですね。
とにかく毒家庭には愛が無いです。
そして毒家庭の子供は毒親に愛を奪われます。
毒親は子供が自分が気に入ったような言動をしなければ怒ります。
いくら血の繋がった子供であっても、子供は他人、ひとりの人間であるということを認めていません。
あくまで自分の「所有物」と思っています。
子供は親に怒られたくないし、段々何を言っても無駄なんだというのが身に染みてわかってくるので、とりあえずもう何か諦めの境地になってしまって、親の言う通りにしていきます。
そうすれば、とりあえずは理不尽に怒られる事もなく、延々と続く嫌味や自分に向けられる傷付く言葉を少しは減らせるのを学習していくからです。
毒親の事を理解してくれない人達は、そんな親の言うことなんか聞かず反抗したり無視すれば良いじゃん。とか言うんですが、それが出来れば苦労してないし、毒親って言葉も生まれてこなかったんじゃないかと思います。
毒親育ちの子供って、もう親に反抗するなんて考えられない位にズタズタに心が傷付いた状態になってしまっているし、毒親の異常な教育で、ある種の強い洗脳状態になってしまってるんですよ…。
毒家庭で育つと、心の傷を治す暇が無いんです。
普通なら愛をくれる親にガンガン傷付けられるという異常な状態が日常なので。
だから気付けば心がもう血みどろです。
心がスプラッタ状態なんです…。
だからそこに子供のうちに気付くことはなかなか難しいと思います。
大人になっても気付くことすら難しいですから。
自分がダメ人間だから、自分が悪いからって思い込んでる事が多いと思いますから。
でも、安心してください。
世の中には必ず自分を理解してくれる人はいます。
毒親が自分を理解してくれなくても全然大丈夫です。
そもそも話が通じる人であれば、毒親ではないですもんね…(苦笑)
子供の事を理解する気はさらさら無いのが毒親です。
信頼していないとも言えるかな…?
毒親自身も恐らく自身に対して信頼が無いんだろうなと今となっては思います。
毒親って結局他人軸で生きてる人ですからね。
ある意味子供に振り回されていますからね。
子供の振る舞い次第で機嫌悪くなるんですから。
自分軸で生きてる人は、まず自分に愛がありますから、心に余裕があります。
他人軸で生きてると、自分に愛がないので心に余裕がなくなります。
心理学やスピリチュアルに興味を持てたのも、このブログをやろうと思ったのも、ある意味では毒家庭育ちだったから、というのは絶対にあります。
心理学やスピリチュアルに興味を持つ人って、毒家庭育ちの方が多いんじゃないかなって感じます。
多分解決策がもうここにしか無い、自分を助けられるのは結局自分しかいないって事に気付くからじゃないかなって思うんです。
自分の事って、どう考えてもやっぱり自分にしかわからないですから。
もちろん100%自分を理解してくれる人はいないです。
人間は神様ではないですから。
でも、この世界のどこかに必ず自分の話をちゃんと聞いてくれて、受け止めてくれる、あるいは受け止めるだけでなく、受け入れてくれるような人、100%は神様じゃないからもちろんムリだけどわかろうとしてくれる人はいるよ、って事を話したかったんです。
私は案外友人には恵まれていました。
今思うと何となくこの子は愛され育ちだっただろうなぁ…って感じていたある友人がいました。
その友人の家にお泊まりすることがあるくらいには仲が良く、その家族を観察していたら良くわかりました(昔からなんか人間観察がちょっとした趣味でした)
父親と母親がちゃんと会話している。
笑顔がある。
その友人には弟がいたのですが、その子も姉として普通に弟を可愛がっている。
もちろんその友人自体も普段からよく父親や母親と会話している様子が感じ取れました。
何となく、みんな余裕があるんですよね。
せかせかしていないというか。
家族間で信頼しあっているというか。
その友人も優しい子でしたし、その友人の両親も会えばいつも優しく接してくれました。
その友人に、毒母の事を相談したことがあります。
さすがに昔の事過ぎて、会話の内容は詳しく覚えていませんが、その友人は、話をちゃんと最後まで聞いてくれましたし、私の事も毒母の事も否定せず、あくまで中立の立場で私の事を励ましてくれました。
私としては、もちろんその友人に何か解決してもらおうなどとは思っておらず、ただちゃんと最後まで聞いてくれるだけでも嬉しかったです。
思えばその友人は、まず否定するって事がなかったなと思います。
まずちゃんと受け止めてくれて、その上で自分はこう思うよ、みたいな話し方をしてくれる人でした。
今思えばですが、友人は私の母が毒母だとうっすら気付いてくれてたんじゃないかな…?って思います。
なんというか、こう…、もちろん確信を持ってとかではないけど、それこそなんかこう、人間の持ってる不思議な勘みたいなものってあるじゃないですか。
そういう領域では何となくわかってて、私に接してくれていたような気がします。
もちろん私も確信があるわけではないですよ。
ただ、今思い返してみると、その友人の言ってくれた事ってもしかして…?って感じる事があるんですよね。
毒家庭育ちの人って、自分の親が信じられないですから、ましてや他人なんて信じられない!ってなっちゃってる人もたくさんいると思うんですよ。
だから対人恐怖とかになっている人もたくさんいると思います。
でも、絶対誰かはわかってくれます。
話を聞いてくれる人はいます。
というか、むしろ毒親より世間の赤の他人の方が優しいっていう…(苦笑)
そして、また気付いた事があります。
私は自己肯定感や自信が殆んど無い人間でしたが、何故か昔から
「何処へ行っても仲良くできる友達がひとりは必ずできる」
って、思い込んでたんです。
何故かはわからないけれど、これだけは自信がありました。
私は結構何度か転校した経験があるのですが、この私の謎の自信、
「何処へ行っても仲良くできる友達がひとりは必ずできる」
確かに現実化していました…。
人見知りで、人とコミュニケーションが上手く出来るタイプではなかったのに、何故か必ず転校先で話かけてくれる子がいたりして、その子が運良くコミュ力の高い明るい良い子だったりしたんですよね…。
「思考は現実化する」の確信がまた上がっちゃいました。
思い込みの力…すごいです。
だからこそ、変な思い込みに気付いたら、速攻手放して、良い思い込みに書き換えちゃいましょう!
ちょっと自分でも今、かなり色々腑に落ちてきてびっくりしています…(笑)
私も今、まさに心理学やスピリチュアルを勉強しつつ実験中なので、こういうことがあるんだなぁ…って思いました。
このブログを始めて良かったー!(笑)
ここまで読んでいただき、本当にどうもありがとうございました。
また次のブログでお会いしましょう。